タミル新年と宙の乙女〜タミル暦その③〜

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気がつかないくらいの速度で動いているタミル暦

今年(2021年)のタミル新年は4月14日。でも1000年ほど前は、3月の終わりだったらしい。

どういうことかというと、

タミル暦は、1000年に半月(約15日)という、人間の寿命では実感できないくらいゆっくりした速度でじわじわと後ろにずれているというのだ。

そもそもタミル新年は春分(3/21頃)のお祝いだったんじゃないかという気がする。

マールガリの乙女はパングニの花嫁に」でも触れたけれど、太陽暦のタミル暦は毎年4月中旬に新年を迎える。
各地のヒンドゥー太陰太陽暦でも、3月〜4月が第1月チャイトラ月(タミル暦ではチッティライ月)となる暦が多い。

なぜ3月〜4月と開きがあるかというと、ヒンドゥー暦のサイクルは、大まかに以下のように分けられるという、前回のおさらい。

ヒンドゥー暦のサイクル

  1. 太陰太陽暦——月の運行に従いながら太陽の動きも考慮する

    a. 満月基準(プールニマーンタ法)——満月が月の終わり、あるいは始まり

    b .新月基準(アマーンタ法)——新月が月の終わり、あるいは始まり

  2. 太陽暦——太陽の移動(サンクラーンティ)が月の終わり、あるいは始まり ←タミル暦はこれ

満月基準のプールニマーンタ法と新月基準のアマーンタ法の暦は常に約2週間ずれがあり、月のサイクルによって新年は毎年移動する。

今年は4月11〜12日が新月だったので、アマーンタ法の暦の新年(テルグ語圏、カンナダ語圏、マーラーティー語圏、コンカニ語圏など)は4月13日となり、タミル新年の前日になった(新年が2日続けて来るっておめでたさも倍増!)。

つまり、ヒンドゥー暦は大きく分けて、満月新年、新月新年、太陽新年を祝うことになる(でも満月新年を大々的に祝っている感じではないな。ホーリーがタイミング的にはそれに当たるけれど)。

ヒンドゥー暦月のネーミングルール

ではそもそも、なぜ3月〜4月が新年になるのだろうか。

まずはヒンドゥー暦の月名のルールから紐解いてみたい。

ヒンドゥー暦の名前は、各月の満月が位置する月宿(=ナクシャトラ、星宿ともいう)に由来する。月宿とは、月の見かけ上の通り道である白道付近の恒星や星座で構成され、月は宿を順々に巡りながら移動していくのだ。月宿の数は27(以前は28だったらしい)。

27の月宿(ナクシャトラ)と12の太陽月(ラーシ)のシンボル付き図

たとえば、第1月であるチャイトラ(チッティライ)月は、満月がチトラー宿に位置することからその名がついたという。
チトラー宿の主星は乙女座のスピカ。

※チャイトラ月からはじまらない暦もある。

なじみのある名前が出てきたところで、西洋占星術の話を少ししてみたい。

タミル暦をはじめ、ヒンドゥー暦の太陽暦のしくみは、西洋占星術で使われる黄道12宮とほぼ同じ。なぜならば、ヘレニズム文化がインドに伝わって、そこから発展した歴史があるからだ。

暦と占星術が同じだなんて不思議に感じるかもしれない。ヒンドゥー暦は太陰太陽暦と太陽暦、月宿を巧みに組み合わせて占星術などに用いる。現代のインドは政府も含めてグレゴリオ暦をメインに使っていて、普段の生活の中での伝統暦の出番は祭りや結婚式などを含む“イベント”ごとくらい。

西洋占星術の黄道12宮とヒンドゥー太陽暦を簡単に比べてみよう。

まずは西洋占星術。

  1. 地球から見た、360度の太陽の見かけ上の通り道(黄道)を、30度刻みで12等分した12宮。
  2. 太陽が毎年春分点に戻ってくるタイミング(太陽年)が白羊宮(=牡羊座)0度となる
  3. 春分(3/21)から第1星宿の白羊宮(牡羊座のサイン)スタートする。

    *厳密には春分の日は固定されていなくて移動している。

そしてヒンドゥー太陽暦(←タミル暦はこれ)。

  1. 地球から見た、360度の太陽の見かけ上の通り道(黄道)を、30度刻みで12等分した12ヶ月。←西洋占星術の分け方と同じ
  2. 太陽が決められた恒星の座標(白羊宮0度)に戻ってくるサイクル(恒星年)を用いる。←西洋占星術は太陽年ベース
  3. 現在は、毎年4/14頃が第1月チッティライ月の始まり(=太陽の白羊宮入り)となる。←西洋占星術は3/21が白羊宮のはじまり

大きな違いは、用いる暦年のサイクル白羊宮(牡羊座サイン)がはじまるタイミングということになる。

なぜ白羊宮(牡羊座)から新年がはじまるのかには諸説あるようだ。

個人的には、冬至を太陽の終わりと考え、太陽の復活とともに冬の間に枯れてしまった大地が再生する春分点という季節感、また地球から見た太陽の通り道を考えた時に、太陽が真東から昇るというおめでたいイメージなどもあるように感じる。ただマドラスの場合、4月は春じゃなくて夏真っ盛りだけど。

西洋占星術の黄道12宮と太陽暦(タミル暦)の12ヶ月を図で(無理矢理)比較してみるとこんな感じ。

注意:西洋占星術の牡羊座=天体の星座の牡羊座ではない。西洋占星術のAries(牡羊座)がタミル暦のPisces(魚座)の位置にあるのがわかるように、現在はほぼ星座サイン1つ分ずれている。

こうして見てみると、たとえば、タミルの祭りや伝統行事の説明としてよく見かける、

タミル最大の祭りで1月に行われる収穫祭タイ・ポンガルは太陽の磨羯宮/山羊座入り(マカラ・サンクラーンティ)を祝うものであるとか、

タミル新年は太陽の白羊座/牡羊座入り(メーシャ・サンクラーンティ)のタイミングだとか、

わかるようなわからないような、一見なじみにくい言葉、「太陽の○○宮入り(サンクラーンティ)」って、要は自分の誕生日から星座占いをするときに、「今日から○○座」というのと同じだと理解できる

それにしても、Virgo=乙女座(処女宮)ってAries=牡羊座(白羊宮)からずいぶん離れているけれど、どういうこと?
これについては月と太陽と地球の関係を考えたら、意外に簡単だった。

満月と地球と太陽の「乙女な」関係

Selenographic Phases of the Moon, Andreas Cellarius, 1660

上は17世紀にオランダで活躍したドイツ人地図&天体図制作者アンドレアス・セラリウスの描いた月と太陽と地球の関係図。

この図の真ん中に描かれているように、地球(中央)から満月(中央下)が見える時、太陽(中央上)の位置はちょうど地球の反対側、つまり太陽と月の直線上に地球が位置することになる。

チトラー(スピカ)の近くに満月が来る時、太陽はちょうど180度の位置(オポジション)の白羊宮(牡羊座)にあるというわけだ。

Wikipediaの“Hindu calendar”のページで、太陽と満月の関係がよくわかる動画を発見。Aries(牡羊座)にある太陽がVirgo=乙女座の満月と一直線になるのが0:19あたり。

The astronomical basis of the Hindu lunar day,
https://en.wikipedia.org/wiki/Hindu_calendar

ヒンドゥー暦は、紀元後300年頃の春分点を固定して現在も用いているという。当時、チトラーは秋分点の近くに位置していたので、そこから180度の位置を春分点に定めたというのだ。

このように、チトラーのような恒星を基準にして太陽が同じ地点に戻ってくるサイクルを「恒星年」といい、ヒンドゥー暦では基本的に恒星年が用いられている(これを占星術ではサイデリアル式という)。

一方、西洋占星術に用いられているのは、太陽が春分点を通過した(戻ってきた)タイミングを基準にする「太陽年(回帰年)」だ(占星術ではトロピカル式と呼ばれる)。グレゴリオ暦も同様。

実は、紀元後300年頃の春分点は太陽年でも恒星年でも同じだったらしいのだけど、ヒンドゥー暦は歳差を考慮していないので、少しづつずれてしまっているということなのだ。つまり、今タミル新年として祝う太陽の白羊宮入りは、古代には春分のタイミングだったのだ。

ちなみに、太陽年の春分点も歳差によって1年に50秒づつ逆行している(なので西洋占星術の星座サインと、実際の星座は今では一つずれている)。

ということは、現在の24度の差があるらしい西洋占星術の12宮とヒンドゥー太陽暦の白羊宮入りは、今後ますます広がっていくことになるのだ。なんだかちょっとせつないなー。

今年のタミル新年はスピカを眺めてみよう

さて、チトラー(スピカ)の話に戻ろう。乙女座というからには秋の星座だというイメージがあるかもしれないけれど、実は春にもばっちり見えやすい。

たとえばこれが4/13日午後8時34分(マドラス)のチトラー。東の空に見える。

https://www.timeanddate.com/astronomy/night/india/chennai

ギリシャの天文学者ヒッパルコスは、チトラーの観測をしている時に春分点の歳差に気がついたのだという。1等星とはいえ、派手な明るさではなく、どこか控えめな白い輝きが美しいチトラー。でも暦の上では非常に重要な役割を果たしてきたしっかり者なのだ。

肉眼では乙女座はスピカ以外の星は暗すぎてよくわからず、目立つのはスピカと、乙女座の左隣のうしかい座のアークトゥルス(オレンジがかった色の星)。

日本では「真珠星」とも呼ばれるこのチトラー。ナクシャトラのシンボルも真珠(上の「27の月宿(ナクシャトラ)と12の太陽月(ラーシ)の図」参照)。乙女のイメージにぴったりだ。

19世紀にイギリスで出版された星図カード『ウラニアの鏡』に描かれた乙女座。左手に持つのが麦の穂=スピカだ。
(「乙女」さんが着ている服の色の組み合わせが好き。こんな色合いのサリーとかきれいだろうなー)

Virgo, Urania’s Mirror, 1825

ところで、タミル暦の第1月はチッティライ月であるけれど、チトラーがシンボルになっている太陽月の処女宮のサンスクリット名は「カンニャー」だ。インド最南端の都市カンニヤークマリのカンニャーで、女神の名前である。だが、タミル暦では太陽月名のカンニャーでなく、太陰月名の「プラッターシ」が使われている。

お隣のケーララ州のマラヤラム暦も太陽暦なのだけど、暦月の名前には太陽月を用いていて、処女宮(タミル暦の「プラッターシ」)に対応する月は「カンニ月」。ではなぜタミル暦の月名は太陰月なのだろうか。

タミル暦はマールガリの乙女「アーンダール」が聖詩『ティルッパーヴァイ』を書く前のどこかのタイミングで太陰太陽暦から太陽暦に移行したと考える学者がいる。なぜならば、アーンダールの時代よりもっと前には、乙女たちが結婚祈願の沐浴をする習慣は、マールガリ月でなくタイ月に行われていて「タイニーラダル」と呼ばれていたらしいのだ(「ニーラーダル」はタミル語で「入浴」の意味)。

もし、以前のタミル暦が満月基準のプールニマーンタ法を採用した太陽太陰暦だったとすれば、タイ月(1月中旬〜2月中旬)がマールガリ月(12月中旬〜1月中旬)になるのも説明はつく。ただ、南インドなら新月基準のアマーンタ法でないとおかしいというか不自然な気もする。でも、暦法が変わっても、既に根付いていた月の名前を維持するのは理解できる。(だってマールガリ月はマールガリじゃないと絶対気分が違う)

と、暦にまつわる疑問はつきないけれど、今年のタミル新年は、チトラー(スピカ)を眺めながら、「いにしえ」に想いを馳せてみるのもいいかもしれない。
良い1年となりますように。

最後に縁起物のお年玉!

新年の縁起物、タミル暦第1月のシンボル「牡羊座」。乙女さんと同じ19世紀の星図カードより。一緒に描かれている虫の星座は「蠅」らしい。北蠅座なんて聞いたことがないと思ったら、現在はもう使われてない星座だとか。

Aries and Musca Borealis, Urania’s Mirror, 1825

※暦や占星術に関しては、まだまだ勉強中なので、間違っている情報もあるかもしれません。興味がある方は専門のサイトなどで調べてみてください。

参考文献:  「古代インドの暦と「昴」(k ttikās)」 阪本(後藤)純子

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