【インド】いろいろあるインドの暦② パールスィー暦と太陽のコーラム

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限りなく太陽に近づきたい暦

もういっそ、太陽になってしまいたい。

願い続けた男の顔は、ある朝起きたら太陽になっていた(名づけて「花を持つ太陽男」)。

なんてストーリーが思い浮かんできそうな奇妙な絵は、約220年前、ゾロアスター教の錬金術を「想像」して書かれたドイツの書物 “Clavis Artis”に登場する。

この絵が本当は何を意味するのかはわからないけれど、ゾロアスター教徒が用いる暦には、太陽への強烈な想いが宿っている、と思う。

ゾロアスター教というと、ちょっとなじみが薄いかもしれない。でも意外にそう遠くない存在でもある。

  • クィーンのボーカリスト、故フレディ・マーキュリーはインド系ゾロアスター教徒(パールスィー)。

  • ニーチェの著書『ツァラトゥストラはこう語った』のツァラトゥストラとは、ゾロアスター教の教祖ザラスシュトラのドイツ語読み。(ただし内容はゾロアスター教とは関係ない)

  • 自動車メーカー「マツダ」のネーミングはゾロアスター教の最高神であるアフラ・マズダーに由来。

これくらい挙げたら十分かな。

ゾロアスター教は、別名拝火教とも呼ばれ、文字通り火を尊ぶ宗教だ。

イギリスの考古学者・神話学者のJacob Bryant(1715–1804)は、ゾロアスター(zoroaster)という言葉について、”Sol Asterius” つまり「太陽星(という解釈でいいかな?)」を意味するのではないかと著書”A New System; or, an Analysis of Antient Mythology”に記している。

(“Zoroaster”は、ゾロアスター教の開祖ザラスシュトラのギリシャ語読みゾーロアストレース”Zōroastrēs”に由来した英語名で、名前の意味の解釈には諸説ある)

そんな彼らが使っているのはもちろん太陽暦。

イスラム教のペルシア征服を受け、8世紀頃からイランからインドに逃れてきたゾロアスター教徒、パールスィー(Parsi=ペルシャ人の意)コミュニティでも、独自の太陽暦を用いている。しかも3種類!

パールスィー暦の新年は年に3回

あれ?この前も新年じゃなかったっけ?

暦に興味を持ち始めて初めて迎えた2021年の「春分」は、これまでにない特別な日となっていた。
というのもヒンドゥー暦をはじめ、春分に新年を迎える暦は多いからだ。

そんなとき、「3月20日はパールスィー新年」という言葉が目に入ってきた。


3月20日ってことは…春分!
と少々興奮するも、

ん?パールスィー新年ってたしか8月で、インドの独立記念日(8/15)に近い日にちじゃなかったっけ?

と思い出した。

調べてみると、パールスィー暦の「ノウルーズ」と呼ばれる新年の祝いは、3月の春分、8月中旬、そしてもう一つ、7月中旬と、3つもあることがわかった。

同じ信仰を持つコミュニティで、なぜバラバラに、しかもかなり離れた日にちに祝うのだろうか?

私自身の整理を兼ねて、それぞれの暦を見ていこう。

拝火儀礼を行うゾロアスター教の聖職者。
太陽とゾロアスター教の最高神であるアフラ・マズダーも描かれている。
“A New System; or, an Analysis of Antient Mythology” by JACOB BRYANT, 1773
https://www.gutenberg.org/files/19584/19584-h/19584-h.htm

パールスィーの3つの暦

1. シャーハンシャーヒー暦
現在インドで最も広く使われているパールスィー暦。


導入時期
10世紀頃までに、ゾロアスター教のさまざまな知識をまとめた百科全書『デーンカルト』に記された暦。イラクのバクダードで作成されて、インドのゾロアスター教徒パールスィーコミュニティに伝わった。

暦法と置閏
1年は、30日×12ヶ月+余日5日=365日。

当時広く用いられていた太陽暦、ユリウス暦(1年=365.25)に比べると1年で6時間早いことは認識されており

1461ゾロアスター年(365日/年×1461年=533265日) は1460ユリウス暦(365.25日/年×1460=533265日)となる。

そこで、追加のうるう日を加えるために以下のいずれかを用いるルールが設けられた。

4年ごとに1日
40年ごとに10日
120年ごとに30日(1ヶ月)
600年ごとに150日(5ヶ月)
1440年ごとに360日(1年)

上記のうち、記録として残っているのは、1129年に加えられた1ヶ月1度のみ。その後、120年ごとに加えられるはずだったうるう月は実施されていない。

120年に一度のうるう月は、ゾロアスター教がアケメネス朝ペルシア(紀元前550年〜紀元前330年)で保護されていた時代のイラン暦でも見られたらしい。

新年は8月中旬
1129年以降は、1年は365日きっかりで、現行太陽暦グレゴリオ暦のような4年に1度のうるう日もないので、1年に6時間のずれ×891年=7.425ヶ月分ほどグレゴリオ暦よりも前倒しになっている。

そういうわけで、本来春分(3/21)に行われる新年の祝い「ノウルーズ」は、2021年では8月16日に行われる。

2. カディーミー暦
イランで使われていた暦に合わせて、パールスィー改革派が18世紀に作った暦。
シャーハンシャーヒー暦とは1ヶ月のずれがある。

導入時期

シャーハンシャーヒー暦とちがって、追加のうるう月(120年ごとに30日)は加えない太陽暦
1720年にイランのゾロアスター教の聖職者がインドを訪れた際、イランのゾロアスター暦とインドで使われているシャーハンシャーヒー暦にずれがあることに気づいた。その後、イランで使われている暦こそ正統なものではないかという主張する改革派グループが現れ、イランの暦に合わせたカディーミー(古代)暦がインドでも用いられるようになった。

暦法と置閏
1年=365日でうるう月は加えない。

■新年は7月中旬
1129年に30日(1ヶ月)のうるう月を加えたシャーハンシャーヒー暦より1ヶ月早く、7月中旬に新年を迎える。

シャーハンシャーヒー暦とカディーミー暦は、現在どちらもうるうを加えないために、グレゴリオ暦と年々離れていき、元々は春分に合わせていた新年の祝い「ノウルーズ」と、そして季節全体も大きくずれてしまっている。そのずれを修正するために考え出されたのが3番目のゾロアスター暦となるファスリ(fasli=季節の意)暦だ。新年は春分の日に始まり、4年に一度うるう日が自動的に追加される。

3. ファスリ暦
グレゴリオ暦と季節に合うよう修正された20世紀生まれのパールスィー暦。

導入時期
1906年、パールスィー研究者で改革推進派のKharshedji Rustomji Cama氏が創設。パールスィーコミュニティ内ではあまり注目されなかったが、イランでは1925年に改訂ポイントが正式にイラン暦として採用されている。

暦法と置閏
1年は、30日×12ヶ月+余日5日=365日。4年に一度うるう日が自動的に追加され、グレゴリオ暦と一致している。

■新年は春分
本来のゾロアスター暦の設定通り、新年は春分の日に合わせる。2021年は3月20日だった。

現在、インド国内のパールスィー教徒のコミュニティでもっとも広く使われているのはシャーハンシャーヒー暦、その次がファスリ暦(イランや欧米のゾロアスター教徒はこちらが主流らしい)、一番オーソドックスなはずのカディーミー暦はごく少数派らしい。

カップなみなみのミルクとひとつまみの砂糖

一つのコミュニティからいくつもの新しい暦が生まれる歴史を見ていると、パールスィーの人々がインドに移住してきた当時のものと伝えられる話を思い出した。

7世紀のイスラム教ペルシア侵攻後、インドに逃れたゾロアスター教徒が、土地の王Jadi Ranaに、領土内に住まわせてもらえないかと頼み込んだ話だ。

16世紀末にパールスィーの聖職者が書いたQissa-i Sanjanにでてくる。

申し出を受けたJadi Ranaは、カップいっぱいに注がれたミルクを送り、この状態だから受け入れることは難しいと暗に伝える。一方、ゾロアスター教徒はそのミルクに砂糖をひとつまみ加え、自分たちは決して邪魔にならないし、逆に土地の生活を豊かにすることを約束した。

この伝承がどれくらい正確なものかはわからない。だけど、後にパールスィーコミュニティ出身のジャムシェトジー・タタ(1839年〜1904年)がインド最大の財閥「タタ・グループ」築くにいたる予兆を感じる話ではある。

Jadi Rana王は、グジャラート語を喋ること、サーリー(サリー)を着ること、武器をもたないこと、結婚式は夕刻に行うことを条件に住むことを許可したという。

そういうわけで、パールスィースタイルのサリーの着こなし(右の女性)は彼らの歴史を今に伝える貴重な資料でもある。これについてはまたの機会に書きたい。

19世紀の本に描かれたパールスィーの人達の装い。でも左の女性の着こなしはちょっと違うね。
Parsi from east India, Zur Geschichte der Kostüme, 1875
https://digital.slub-dresden.de/werkansicht/dlf/172662/255/0/

この伝承には、(パールスィーコミュニティの総意ではなかったとしても)時代やその他の事情に柔軟に合わせて暦を変えてきた動きと、何か共通するパールスィー的な姿勢を感じる(と書くとちょっと強引かもしれないけど)。

とはいえ、インドに移住当初から使われているシャーハンシャーヒー暦を使う人が多く、またカディーミー暦を導入しようとした改革派と保守派の間では長らく激しい対立状態にあったという。また今でもインド国内では保守派の力が強い。

太陽のコーラムで祝うパールスィー新年

さて、マドラスにもパールスィーコミュニティがある。

シャーハンシャーヒー暦に従って8月に祝うパールスィー新年は一つの風物詩になっている。

上の写真は、マドラスのパールスィーコミュニティの新年コーラム。色が多少入っているものの、北インドの色鮮やかなランゴーリーより、タミル伝統の白いコーラムに印象が近い。

これももしかすると、地域に溶け込もうとするパールスィー的気質の現れ、といえるのかもしれない。

とはいえ粉を指から落としながら描くのはかなり難しいので、型を使ったステンシルタイプのコーラムになっている。

右のコーラムの一番上に描かれているのは、ゾロアスター教の聖なる火のアタール、左右は聖火を扱うトング(chipyo)とレードル(chamach)。

Photo by Rakesh Raghunathan

火を尊び、純粋な太陽暦を用いるパールスィーならではの太陽(炎)のコーラムと呼びたい。

下はボンベイで撮影された、パールスィーコミュニティのゾロアスター教拝火儀礼の動画(画質は良くないけれど内容は◎。パート1もあり)。
トング(chipyo)とレードル(chamach)も登場。

ここで、花を交換するシーンにも注目してほしい。
コーラムにも描かれているけれど、花もゾロアスター教の重要アイテムらしい(太陽男も持ってるしね)。

世界年1996年とキリスト年1236年の謎

トング(chipyo)とレードル(chamach)の資料になりそうな画像を探していたら、偶然、検索にひっかかってきたのが冒頭の絵を含む “Clavis Artis ” (ラテン語で”The Key of the Arts”の意らしい)。

Zoroaster Clavis Artis, MS. Verginelli-Rota, Biblioteca dell’Accademia Nazionale dei Lincei, Roma, vol. 3, p. 1r, 1738

17世紀末から18世紀初頭あたりにつくられた写本で、内容は「ドラゴンの皮」に「アラビア語」で書かれた錬金術に関する原本のドイツ語訳(でもタイトルのClavis Artisはドイツ語ではない感じ)という「設定」の書物だ。

写本は3部しか現存していないということもあり、詳しい研究はされておらず、著者も含めて詳細は不明である。

ゾロアスター教の錬金術として紹介されていて、太陽、花、蛇(ドラゴン)など、確かにモチーフはそれっぽいけれど、絵を一つ一つ見ていると、ゾロアスター教というよりキリスト教の世界に近いようにも感じる。

こちらがWikimedia CommonsのClavis Artisの絵の一覧。タッチを変えた同じ絵が2セットあるように見えるのは、2種類の写本の絵が混ざっているから。

https://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Clavis_Artis


たとえば、こちらは「花を持つ太陽男」の別バージョン。どう見ても別人。

Zoroaster Clavis Artis, Ms-2-27, Biblioteca Civica Hortis, Trieste, vol. 3, pag. 2

また、ゾロアスター教ではなくイスラム教の影響を受けているという見方もあるようだ。

どちらにしても西洋から他文化を「想像」して書いた、好奇心や偏見、憧れ(?)や恐れなどが入り交じって錬金術的に創作された世界観といったらいいだろうか。

Zoroaster Clavis Artis, MS. Verginelli-Rota, Biblioteca dell’Accademia Nazionale dei Lincei, Roma, vol. 3, p. 158, 1738

こちらの絵は、より「ワイルドな」太陽男。下半身はドラゴンだろうか。
この姿できっちり花を持っているのがなんだか健気だ。

このClavis Artis、単なるトンデモ本の類い(個人的には好きな世界観だけど)かと思いきや、タイトルページを見ていて、そうだと斬り捨てられない「数字」が目についた。

こちらがタイトルページ。

Zoroaster Clavis Artis, Ms-2-27, Biblioteca Civica Hortis, Trieste, vol. 1, pag. 5

Stephen Ellcock氏による英訳

Zoroaster
rabbi and Jewish
Clavis Artis
Part One
The original was written by the author
over a skin of dragon
Year of the World
in 1996

Following text was translated
from Arabic into German
in the Year of Christ
1236

by
SVFR and AC

「ゾロアスター」と書かれた下になぜか「ラビ」と「ユダヤ教徒」とあることや、原本はドラゴンの皮に書かれた(!)ということは置いといて、

注目したいのは、”Year of the World”の1996年にアラビア語の原本が書かれ、”the Year of Christ”の1236年にドイツ語訳を本にしたというなんだか思わせぶりな部分

“the Year of Christ”は1236年当時使われていたユリウス暦を想定していて、”Year of the World”はそれとは別の暦と考えた方がいいだろう。

“Year of the World”の1996年とは、どの暦でいつのことなんだろう。

写本は17世紀末から18世紀初頭に作られたものらしいから、ユリウス暦1236年(現行グレゴリオ暦でも1236年)からずいぶん後の話だけど。まあ、それはいいとして、ここでちょっとゾロアスター暦と比べてみよう。

ゾロアスター暦の紀元はさまざまある。WikipediaのZoroaster Calenderページによると、アナトリア半島(トルコもここに位置)には、ザラスシュトラ生誕を紀元前389年として、その年を紀元とする暦を使うゾロアスター教徒のコミュニティがあるらしい。その暦では、西暦2021年はゾロアスター暦の2411年(西暦+390)になるという。

ザラスシュトラ生誕年を紀元前637年とする説もあるらしく、たとえばそれを紀元にして(ゾロアスター暦の1年の日数は無視)単純計算してみると、ユリウス暦1236年=1874年ということになる。

“Year of the World”の1996年にちょっと近づいた?

詳細がわからないというトンデモ本を、暦の観点から検証してみたらなにか面白いことがわかるかもしれない、なんてことはないかなとちらっと思った。

太陽と月が一番近づく瞬間

気がついたら、「インドの暦」という括りからずいぶん離れてしまっていた。

前回の記事「いろいろあるインドの個性派暦①-イスラーム暦と断食粥」で書いたように、インドは個性派暦がせいぞろいする暦大国(そんな言葉ってあるっけ?)だ。

ゾロアスター教徒は、イスラム教のペルシア征服を受けてインドに逃れてきた歴史があるけれど、インドでは両方の暦が同居してたりするわけだ。

先日のラマダーン(断食)月明け間近、ヒンドゥー暦の新月の日に夜空を見ていてあらためて気がついたのだけど、
新月の頃には月と太陽はほぼ同じ方角にある。

日の出入り、月の出入りがほぼ一緒、
つまり、新月は太陽と月が一番近づく瞬間なのだ。

ヒンドゥー暦の新月の日の夜9時頃の太陽と月の位置

季節との関係を断ち切ったはずのヒジュラ(イスラーム)暦の基準である新月は、
地球から見ると絶縁したはずの太陽のすぐそばにいる

だなんて皮肉っぽいというか、なにごとも表裏一体なのだなという気がして単なる偶然とも思えない。

本当は狙ったんじゃないの?とか(なんて言うと怒られそうだけど)。

Zoroaster Clavis Artis, MS. Verginelli-Rota, Biblioteca dell’Accademia Nazionale dei Lincei, Roma, vol. 2, pag. 121

そんなわけで、私の中では太陰暦と太陽暦ってこんなイメージ。

ん?真ん中に立つ、(水銀のシンボルが思わせぶりな)人物は、ワイルドな方の太陽男の中の人?胸が豊かだから女性なのかな?

ああ、暦って面白すぎる。

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