【インド】クール・ワールッダルの記憶と記録

Contents

結婚や引っ越しはおあずけ月間

もしマドラスで7〜8月に結婚や引っ越しを考えるなら、少々注意が必要だ。

というのも、タミル暦4番目の月であるAadi(アーディ)(7月中旬〜8月中旬)は、マールガリ月と同じように、神の月とされ、結婚式、新作タミル映画のプージャー(祈祷)などの祝い事、引っ越しなど新しいことを始めるのは良くない。新婚夫婦に至っては、別居すべきだとさえ言われるらしい。

家電の売上なども落ちるのだろう。そこを逆手にとったアーディセールなどもこの時期に行われる。

でも、私自身はこの月を心待ちにしている。なぜなら女神Amman(アンマン)の祭りが各地で行われるから。アンマンは南インドで信仰される土着の女神。疫病を司り、女神カーリーを思わせるちょっと血なまぐさい部分もあるけれど、母なる自然と結びついた大いなる存在(今ではシヴァ神の妃という位置づけになっている)。

女神は発酵食品がお好き

アンマン女神に興味を持つようになったのはいくつか理由がある。

特権階級(と、あえて言うけれど)でないコミュニティでより愛されていること、庶民的かつダイナミックでたくましい存在感、近所に小さなアンマン寺院があってなじみが深いこと、そしてそこで(インドでは珍しい)発酵食品を捧げる祭事が行われることを知ったからだ。

ヒンドゥー教(やアーユルヴェーダ)には、発酵食品を不浄としてきた歴史があり、同じ理由で例えば酢も一般的には使われてこなかったようだ。

だが、アンマン寺院では、Koozh(クール)と呼ばれるシコクビエやトウジンビエの発酵粥を女神に捧げ、そのお下がり(プラサーダム)が参拝者にふるまわれる。それがアーディ月に行われるKoozh Vaarthal(クール・ワールダル/கூழ் வார்த்தல்)という祭事だ(ワールダルとは、タミル語で「注ぐ」という意味)。

さらに興味深いのは、クールと一緒に食べるのは、フジマメ(Mochai)と干し魚(Karuvadu)のコランブ(Karuvadu Mochai Kottai Kuzhambu)。菜食が一般的のはずのプラサーダムにノンベジ料理が登場するのだ。これもアンマン寺院ならでは。クール、干し魚のダシが効いたコランブと高菜のようなコクのある味わいのドラムスティック(モリンガ)の葉のポリヤル(炒めもの)を指で混ぜながらいただくと、そのまま手が止まらなくなる絶妙なコンビネーション!

アンマンはもともとヒンドゥー教とは無関係の土着の女神。もしかすると南インドには、独自の発酵食文化が根づいていたのかもしれない。考えてみれば南インドを代表する食べ物、ドーサやイドゥリも立派な発酵食品だ。

クール・ワールダルの流れ

2012年のアーディ月に、マドラスの小さなアンマン寺院で行われたクール・ワールダルに参加する機会があった。

祭りの流れとしてはまず、寺院の正面に、コーラムと呼ばれる吉祥文様を指の間から米粉を落としながら描く。そこに、クールが入った大鍋を男性が4人がかりで運び込み、コーラムの上に置くと、鍋の周りやクールの表面にニームが添えられる。

楽師が奏でる音楽に合わせてアンマンが憑依したとされる女性が舞い、生け贄として捧げられる山羊の首が切り落とされるのがクライマックスだ。

その後、プラサーダムとしてクールとコランブ、ポリヤルが振る舞われる。

供物の山羊は調理され、同日の真夜中のプージャー(祈祷)で女神に捧げられ、集まった人々に供されるということだ。

Koozh3

守り母とテンプルフード

山羊の首を切り落とす儀式については、私は直視することができず、目をつぶってしまった。でも、この儀式に立ち会わなければクールを食べる資格はないと感じていたので、その場に居続けた(なぜかゲスト扱いで最前列に座るように言われ、かぶりつきで儀式を見学した)。山羊は声をあげることもなく、目を開けたらそこには血の海が広がっていた。

どうしてクールを女神に捧げるのかと僧侶(アンマン寺院の僧侶たちはバラモンでないことが多いように感じる)に質問したところ、この時期は水痘が流行ることが多いので、それを防ぐために、身体の過剰な熱を冷ますクールをできるだけ多くの人に食べてもらうためだと説明された。ニームの葉が多用されるのは、強い殺菌作用があるとされ、水痘に効くと信じられているからだとのこと。

このお寺に祀られているのは、アンマンの10のアバターの中でも最も荒々しく凶暴とされるのMelmalaynurのAngala Parameswari Ammam (アンガーラ・パラメーシュワリ・アンマン)だという 。でも、僧侶によれば「ごく穏やかな」女神だとのこと。時代に合わせて役割や在り方も変わりつつあるのかもしれない。ここでは土地の守護神として祀られ、聖母のように人々の心の拠り所になっているように感じる。そこでテンプルフードが重要な役割を果たしていることに興味が尽きない。

アンガーラ・パラメーシュワリ・アンマン(ポンガルの祭り中にマドラスにて撮影)

となりの女神乱入事件

実は祭りの最中、一人の女性が踊りながら乱入してくる珍事に遭遇したので書いておきたい。

よくあることなのか、私以外の人は動揺しているようには見えず、楽師だったか僧侶だったかは忘れてしまったが、落ち着いた様子でまず女性に名前を聞いていた(タミル映画『チャンドラムキ』に同様のシーンがあったことを思い出した)。

彼女は当たり前のようにアンマン女神の名前を名乗った。ただ、この寺の女神でなく、隣の地区の女神だったようだ。それを聞いて、ここはあなたが来る場所ではないというようなことを伝えると(そもそも祭りには、正式に「雇われた」アンマン女神憑き女性がいる)、女性はひとしきり踊ってぱたりと倒れた。

それでも誰も騒いだりしない。少し時間が経って、彼女は一人で起き上がり、何もなかったようにその場を去っていった。

異様だったのは、女性が入ってきた時、あたりの空気全体がぐるんと大きく揺れたような錯覚に陥ったことだった。

といっても、彼女は取り乱したりするわけでなく、あくまで静かに体をゆらゆらさせているだけ。お掃除レディに聞いてみたら、近所に住んでいる女性で、祭りの時によくこういう状態になるのだそう。多分舌に針を刺してるんじゃないかとも言っていた。

アンマン女神が女性に憑依するのは、タミルでは特別不思議な話ではない。映画やドラマにもしょっちゅう登場する。

それだけアンマン女神は身近な存在といえるだろう。実際、祭りなどでトランス状態になった人々を見かけるのはそう珍しいことではない。だけれど、私があの日遭遇した女性は、なにかが大きく違っていた。

彼女には確かに不思議ななにかが宿っていた。

  • URLをコピーしました!
Contents