瓶詰めのジャケ買いは楽しい
それが言葉のわからない異国ならばなおさらだ。
2013年に半年ほど滞在したオランダで出逢ったのが、Heerlijkheid Mariënwaerdtのレモンカード(下の写真はレモンカードでなくオレンジカードで、オランダ国王即位記念のオランダの国旗の色をあしらった特別ラベル。普段のラベルはごくごくシンプルなこんな感じ)。オランダ語の発音はとても難しくて、いまだに読み方がわからない。でも、流れるような書体が美しい、シンプルで品の良い、真面目さが伝わってくるこのジャケ買いは大正解だった。
オランダで朝ごはんによく食べていた田舎風のざっくりとしたスコーンのようなビスケットに合わせてみた。ほどよい甘さと心地よい酸味がまったり口の中に広がる。ふんわりと爽やかなレモンの香りや、ビスケットの食感との対比を楽しみながら、うっとりするような幸福感に包まれる、朝一番の幸せなひととき。
聖母マリアの島
すっかり虜になってしまった私は、5 月の週末、Heerlijkheid Mariënwaerdtを目指して、見知らぬ町Beesdに向かう電車に乗っていた。
小さな駅を降りると、町らしい賑わいはなく、いきなり、どこまでも緑が広がる農村地帯だったのには驚いた。標識に従って、平らな大地をまっすぐ伸びる、静かな田舎道を歩き始める。人も車もほとんどいない。馬に乗った人が突然横切ったり、赤いおしべがちらちら舞う白い西洋サンザシの花(英語はまさにMay Flower=5月の花)が道端に可憐に咲いていたりして、その先にあるはずの「極上の田舎」に期待感が募る。
後で知ったことだけど、Heerlijkheidはオランダ語で「荘園」、 Mariënwaerdtは「聖母マリアの島」という意味らしい。
「聖母マリアの島」といえば、1498年にポルトガルの探検家ヴァスコ・ダ・ガマがインドのカリカット(現在のケーララ州コーリコーデ)に初上陸する前に十字架を立てて聖母マリアのご加護を祈った島もSt. Mary’s Islandsだ。
Heerlijkheid Mariënwaerdtの場合は、この土地を囲むように流れるリンゲ川がたびたび氾濫したことから(その際にきっと島のような状態になったのだろう)、それを鎮めるために祈りを込めて名づけられたという。実際この土地は、12世紀、貴族であるVan Cuyk(Cuijk)家の未亡人が教会を建てるために寄進したのが始まりで、18世紀になって、教会の跡地に現存するマナーハウスが建てられ、その周辺はエステートとして一般に公開されている。その広さはなんと900ヘクタール(東京ドーム約192個分!)。
オランダのダウントン・アビー
レモンカードのラベルにもある王冠を象った赤い紋章は、Cuijk家縁のものらしい。突然カッコいい雰囲気の門が現れたりするのは、そういう理由からだったのだ(門にあしらわれた紋章は現在のオーナーであるVan Verschuer家関係のものかもしれない)。
突然現れたクラシックな形の車が、映画のワンシーンのように絵になる。
現在、Heerlijkheid Mariënwaerdtは一般公開され、19世紀につくられた菜園、かつては洪水の際に家畜を避難させるために使用していた納屋を改装したレストラン、結婚式などができるイベント会場、宿泊施設など市民の憩いの場となっている。もちろん、レモンカードをはじめとするオリジナルの加工食品も購入できる。駅から歩いてくる際に、ほとんど人に出会わなかった理由は、単に、ほとんどの人が車で別のルートからやってくるせいなのだろう。
田舎の貴族の館とエステートといえば、英国の人気ドラマシリーズ『ダウントン・アビー』で、お屋敷の莫大な維持費に悩みながら、養豚など新しい事業に取り組んでいた姿を思い出す。
道の脇のこの小さな看板は、近くに養蜂センターがあるというお知らせ。
まっすぐな畑の畝がすうっと1点に集まった先には、春の緑をこんもり纏った木々が等間隔に並ぶ。手入れがちょうどいい感じで行き届いた美しいエステートはどこを切り取っても絵になる。
積み上げた干し草が壁のようにも見える半オープンな納屋が並んだ区画。屋根は藁葺きで、確か文化財として指定されていたと思う。
一応柵はあるけれど、「牧場」という人工的なイメージではなく、木立の間を気持ちよさそうに動き回る馬たち。とはいえ人には慣れているようで、餌をやる家族連れの姿も見かけた。
マーレットの巣箱に想いを寄せて
その先に何かがありそうな予感に満ちた、小さな川に架かる小さな木の橋。
蔦の絡まる小さな橋を渡ると、開けた野原があった。そこに現れたのはおとぎの国のような巣箱たち。白い小花が散らばる緑の絨毯に赤と黄色が鮮やかに映える小さな別世界は楽園のよう。
大きな巣箱を囲むように、小さい巣箱が8つ並ぶ様は、紋章に描かれた王冠と8羽の鳥に符号しているようにも思えてくる。紋章の鳥はMerlette(マーレット)と呼ばれる架空の鳥で、ヨーロッパの紋章にはよく使われるモチーフらしい。もともと足がなく、13世紀以降はそれに加えてくちばしもない姿で描かれることが多いという(なので、それより古いこの場所のマーレットにはくちばしがある、ということなのかな)。
小川側から見た巣箱。どんな鳥たちがやってくるのだろう。木の陰からこっそり見てみたいものだ。マーレットが訪れるのかもしれない。
「聖母マリアの島」で過ごした夢のひとときは、オランダから遠く離れたインドでも時々思い出すのだけど、この巣箱は、やはりこのロケーションだから美しいのであって、巣箱だけを切り取って殺風景な置くとここまでの「おとぎの国感」は出せないだろうな。
ぜひもう一度訪れたいHeerlijkheid Mariënwaerdt。何の前知識もなく訪れ、広大なエステートのほんの一部しか回れなかったので、今度は泊まりがけで、できればガイドをお願いして、いろいろ説明を聞きながらゆっくり巡りたい。その時には、この世にも美しい巣箱たちにも再会できますように。
Heerlijkheid Mariënwaerdtを英語で紹介するサイトは↓
Heerlijkheid Mariënwaerdt – Guelders – the Netherlands
ああ、早く自由に旅したいな。鳥のようにひゅっと飛んでいければいいのだけど。