ココナッツがココアナッツだった頃──その③

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【ぼやき】あのさ、とにかく、紛らわしいんだよ

その昔、一般的だった「ココアナッツ」というスペルは、どうやら勘違いが発端だったらしいという話を書いてきた。
ココナッツがココアナッツだった頃──その①
ココナッツがココアナッツだった頃──その②

でも実は、19世紀後半には既に、“Cocoanut”のスペルは紛らわしいという表立った意見はあったらしい。以下は、ココナッツがいっぱいのフロリダの新聞記事より。

Indian River Country : Volume 1, 1880-1889 , Bonnie Garmon, Jim Garmon

スコットランドの植物学者アイザック・ベイリー・バルフォアが、“cocoanut”というスペルは、カカオがココヤシから採れると考えた無知の名残りにすぎず、ココヤシの実は“coconut”が正しいと学会誌に寄稿していると報じている。ジョンソン博士は辞典の間違いに気がついものの、改訂には間に合わなかったともある。

もっと遡ると、1768年にはこんなぼやきが。

The Natural History of Chocolate by D. de Quelus, translated by Richard Brookes
Part III/Remarks, 1768

ジョンソン博士に対してではなく、『最新世界周航記』などを書いた17世紀の冒険家のウィリアム・ダンピアに向けたもの。椰子の一種のCoco-Treeの実はコカオナッツで、“Cocao”と呼ばれるとダンピア氏が書いているのは誤りだと。

Coco、 Cocoa、Cocaoが入り乱れ!もうわけがわからない。


【誤り】一言でいうと「ココアは椰子」です。はい

スペルがおかしいという声は常にあったのに、天下の“A Dictionary of the English Language”に記載されたとあって、“cocoanut”のスペルが根づいてしまったココナッツ。しかも、一番普及していたという簡易版はこんなことになっていた。

A Dictionary of the English Language … Abridged from the Rev. H. J. Todd’s … enlarged quarto edition, by A. Chalmers,Samuel Johnson, 1820

ココア: 東インド諸島(現在の東南アジア・マレー諸島)および西インド諸島で栽培される椰子の一種。

フィリップ・ミラー氏の『園芸事典』から引用した最初の一文のみ。

カカオは完全にどこか行っちゃった……。

【愛着】だからさ、ココアナッツでいいんだってば

さて、ここで、ココアナッツがココナッツだった頃──その①で触れた、ハワイの農林委員会刊行季刊誌の記事「ココナッツのスペル」を再度見てみよう。

“The Hawaiian forester and agriculturist; quarterly magazine of forestry, entomology, plant inspection and animal industry” by Hawaii. Board of Commissioners of Agriculture and Forestry (1914) , 311 page

記事は上のように締めくくられている。ざっとかいつまむと、

Coconutという綴りを一般的だとするのは、正しいとはいえない。なぜなら、“a”を入れるがおそらく大多数だから。店では「ココアナッツビスケット」だの「ココアナッツオイル」だのといった商品名をよく目にするし、(ここアメリカだけでなく)英国中の菓子屋や商店でも同じはず。“Coconut”の方がより正しいのかもしれないけれど、だからといって、“Cocoanut”が間違いだとも言い切れない。その証拠に、The Century Dictionaryだって、2種のスペルについていろいろ説明しながらも、最終的には”Cocoanut”を本文で使っているじゃないか….以下省略

『英語辞典』の初版刊行から200年近く経っても、「ココアナッツ」はしぶとくのさばっていた。この記事も、その綴りに愛着を感じているのではとすら思われる書きっぷりだ。

19世紀末に発行された”The Century Dictionary”に記載されているココナッツの語源の一つが興味深すぎるのだけど、脱線確実なので、別の機会に改めてまとめたい。やっぱり深すぎるココナッツワールド。

【一刀両断】いやいや、はっきりいって、“a”なんて無用

さらに20年後の1938年、その名もずばり“Cocoanut grove“というミュージカル映画がアメリカで公開された。その際に、ハワイの邦字新聞『日布時事』に掲載されたレビューは、ココナッツの”a問題”に鋭く言及していた。

Did you notice two improper spellings of names in the foregoing? The “a” in cocoa-nut and the first “a” in MacMurray are absolutely and positively unnecessary.

NIPPU Jill, SATURDAY, JULY 30, 1938

レビューを書いたJames T. Hamadaはハワイ在住の日系ジャーナリスト。主役の俳優Fred MacMurrayの苗字MacMurrayの最初の“a”と、映画のタイトル“Cocoanut Grove”の”a”は全く無用のものだとばっさり。

ココナッツについては、さらに詳しく斬り込んでいる。映画の内容から離れ、Coconutのスペルを巡って、当時の辞典の比較をはじめたり…。(よっぽど気になってたんだろうな)。

“The New Century Dictionary”は、最初に“Cocoanut”、“Coconut”はその次に記載されている。1925年発行の“Webster’s Collegiate Dictionary”も同じく“Cocoanut”→“Coconut”の順番。でも最新の“Webster’s International”は、“Coconut”を推奨スペルとし、“Cocoanut”はバリエーション扱い。一方、“The Standard Dictionary”はいつだって“a”抜きの“Coconut”。

ジェームスさんのマニアックぶり、好きだなー。

【共存】もうここまできたら、「みんな違って、みんないい」

その後、Cocoanutはどうなっていったのか。
たとえば、1950年に出版されたレシピ集“Song of the kettle” (Christ Episcopal Church (Albemarle, N.C.), 1950)の目次を見てみると、

目次の“Pie”の欄には“Coconut”とあるけれど、実際のレシピページはこんな感じ。

目次の“Coconut Pie”は、レシピページでは“Cocoanut Pie”と表記されている。“Bahamian Coconut Tart”にいたっては、“cocoanut”と”coconut”が混在。ただし、本全体で見ると“cocoanut”の方が数としては多い。

この本は、教会の寄付金集めのために手作りされた本なので、編集もそこまできっちりしてないのだとは思われ、前書きにはこうある。

Attics, closets, and old trunks have been searched. Some recipes were in yellow ledgers, handwritten in beautiful penmanship, and others loose in boxes.

「屋根裏、クローゼット、古いトランクまで探して、出てきたレシピの数々」ということは、最新のレシピというわけではない。発見されたレシピをそのまま掲載したのだろう。目次は“Coconut”で統一されているので、それが一般的な表記になりつつあったのだと推測することもできるけれど、まだまだ「ココアナッツ」も健在だったのだ。

と、ここまでで『英語辞典』の初版から実に200年!

その後、“Coconut(ココナッツ)”というスペルがすっかり一般化になった2020年、気になる異変が起こる。
ココナッツがココアナッツだった頃──現在

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