【スリランカ】パリで見たジャフナ・タミルの乙女の肖像

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花の都の石畳とサリー

もう10年近く前のこと、オランダ滞在中にパリまで足を延ばし、サンジェルマン・デ・プレを歩いていた時、画廊のショーウィンドウに飾られた1枚の絵が目に留まった。

サリー姿の乙女の横顔。少し緊張したような表情に、きっちりと巻かれた無地のサリー、手首をぎゅっと掴むようにはめられた大ぶりのバングル。一見控えめだけど、激しいものを内に秘めたような美しさにひきつけられる。

パリの石畳とサリー。意外な組み合わせに驚きながら、インドの民族衣装が、堂々とパリのショーウィンドーを飾っていることに、なんだか誇らしい気持ちになったことを覚えている。

19世紀のサリー姿の乙女

当時は自分でサリーを着ることはなかったけれど、インドでの生活が長くなってくるとともに、自然にサリーに魅せられ、特に古い写真や絵に見る着こなしが気になってきた。

たくさんの絵や写真を見ているうちに、パリで見たあの乙女の絵は、現代のインド人女性をモデルしたものでなく、実は19世紀末にセイロン(現在のスリランカ)で撮影された古い写真をもとに描かれていることに気がついた。サリーといえば鮮やかな色合いや大胆な模様のイメージが強いのに、ごく抑えた地味な色合いだったのは元が白黒写真だったこともあったのだ。

Source: http://ceylon.digitalseya.com/

タミルスタイルのサリーの着こなし

サリーは1枚の長い布(現在は幅1.2×長さ5.5m程度が標準)を身体に巻きつけて着る。普通はパッルーと呼ばれる先端部分を肩から後ろに長く垂らすが、それを前にもってきて腰に巻き込む写真のような着つけは、今もインドのタミル・ナードゥではよく見られる。

マドラスにて。コーラム(南インドの吉祥模様)を描き終わったばかりのお母さん。

普通はこんな風に左肩にサリーをかけるのだけど、19世紀の写真ではその逆なのが興味深い。当時の写真を見ると、右肩にかけているのも左肩にかけているのもあり、決まりはなかったというなのか、それとも逆版なのかはよくわからない。

Rukmoni – The Famous Madras Beauty – Rangoon, D. A. Ahuja, 1905
from https://www.paperjewels.org/

たとえばこれは20世紀初頭のイギリス領インド帝国ビルマ州ラングーン(現ミャンマーのヤンゴン)でパンジャブ出身の写真家D. A. Ahujaが撮影したタミル人女性。当時、ビルマには多くのタミル人が住んでいた。写真のタイトルからして彼女はマドラスから移り住んできたのだろうか。パッルーは左肩にかけ、前に持ってきたものを左の腰に入れ込んでいる。
セイロンの写真と比べると、着こなしは同じでも、こちらはサリーに白いレースのブラウスと黒いパンプスを合わせて、ずいぶんモダンな印象を受ける。

シンハラスタイルのサリーの着こなし

19世紀末にセイロンで撮影されたサリー姿の乙女の話に戻ろう。モデルとなったのはスリランカのジャフナに住むタミル女性で、撮影したのは写真家のCharles T Scowen(1852〜1948)という英国人のようだ。1870年頃からスリランカや英領インドで撮影を始め、コロンボやキャンディにScowen & Coというスタジオを構えていたらしい。人物をはじめ、風景や、コーヒーなどのプランテーション、さまざまな祭事の写真などが残っている。

Scowen & Coスタジオで撮影されたらしい当時のポートレート。

By whatsthatpicture from Hanwell, London, UK – Portrait of young girl, K C Dewar by Scowen, Colombo & Kandy, CC BY 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=35827523

彼の写真からは、スリランカのタミル人のサリーの着こなしだけでなく、シンハラ人の着こなしも見ることができる。下の写真は、スリランカ中央部の古都キャンディの女性。織りや刺繍が凝った衣装と豪華なアクセサリーを身につけ、高貴な女性であることがわかる。きりっとした利発そうな眼差しも印象的だ。

Portret van een jonge vrouw uit Kandy op Ceylon
Kandian Lady by Charles T. Scowen, c. 1875 – c. 1880 /Public domain

おそらく同じ日にScowenが撮影したと思われる彼女の家族写真を見つけた。

Source: https://www.oldindianphotos.in

Kandian Chief and Familyとあるので、彼女はキャンディの高官の娘であった可能性が高い。彼女はサリーにぴったりしたブラウスを合わせているが、手前右に座っている母親らしき女性はパフスリーブを着ている。ちなみに、娘は右肩からパッルーを垂らし、母親は左からパッルーを垂らしているように見える。

サリー×パフスリーブの魅惑

サリーとパフスリーブの組み合わせが美しい写真といえば、同じ時期にスリランカで活躍していたW. L. H. Skeen(1847–1903)が撮影したキャンディの女性だ。スキーンは、スコーウェンより少し早い1860年代にコロンボにスタジオを構え、スクウェンと同じく人物、風景、プランテーション、鉄道、祭事などをカメラに収めている。

Sinhalese lady wearing a traditional Kandyan sari (osaria) by Skeen, Public domain, via Wikimedia Commons

大ぶりなアクセサリーがさきほどの少女のものと似ているので、この女性も同様の階級の出身だと思われる。

パフスリーブはサテンのような光沢のある生地で、左の腰にも白い布が見えるが、これがブラウスの裾なのか、別の布なのかははっきりしない。腰の部分に白地が見えるので、もしかするとベルトのような使い方をしているのかもしれない。

数々の古いサリーの写真の中で、個人的にこの着こなしに惹かれているのだけど、現代のキャンディスタイルとはかなり異なるように見える。実際にどのように巻かれているのかを解明するのは難しそうだ。

Anuradha Ratnaweera from Sri Lanka, CC BY-SA 2.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.0, via Wikimedia Commons

キャンディでは今もサリー×パフスリーブの組み合わせが主流なのがキュート。

アンのふくらんだ袖とサリー

さて、パフスリーブといえば思い出すのが『赤毛のアン』の「ふくらんだ袖」だ。19世紀末という時代設定もちょうど同じ。日本でも今年NHKでドラマ『アンという名の少女』が放映され、改めてアンの世界に引き込まれているこの頃、当時のシンハラ人女性のサリー姿にインスピレーションを受けて、といってもインドで作られたサリーとブラウスではあるけれど、こんな組み合わせを考えてみた。

サリーはタミル・ナードゥ州ティルブヴァナムのテンプルボーダーサリー。昔の色の組み合わせで作られたもの。ビンテージ風のデザインが得意なデリーのブランドHEMANT & NANDITAのパフスリーブトップスを合わせてみた。

ティルブヴァナムサリーの特徴は、プリーツをつけやすいようにとあらかじめ扇子のように細く折ってあること。蛇腹折りと言いたいところだけど、タミル語では“扇子折り/Visiri madippu”と呼ばれる。一気に広げるとパーンといい音がするそう。

というわけで、スリランカのサリーの着こなしの魅力にもう少し迫っていきたい。スキーンが撮影した19世紀末のシンハラ人女性の着こなし、解明できるか?!

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